私:「やだ〜、だめでしょっ!」
子供:「ごめんなさ〜い」
私:「何回も同じ事で注意されているでしょ。」
子供:「…」
いつも、いつもしかってしまう私。
『今日こそ、しからないぞ。』
やさしいお母さんでいるぞ、とかたく決心して、我が子供を保育園に迎えにいくのだ。
それなのに…。
気付いたら、「こらっ!」(あ〜、しまった!またしかっているお母さんになっちゃった)
なんで、毎回、同じ事を言っているのに、気をつけようとしてくれないのだろう。
自己嫌悪とともに疑問に思う日々。
『叱るのではなく、見守る』なんていつか読んだ育児書に書いてあったのを記憶している。
でも、叱らないで見守る姿勢を保ち続ける事が出来るお母さんが、世の中、どれだけいるのだろうか。
成長の証
ある日、突然、うちの子供が私に言ってきた一言に、ハッとさせられたのです。
「ママは、全然褒めてくれない!僕が赤ちゃんの時は、立つだけで、手を叩いて褒めてくれたのに!」
よく、そんな事を記憶してるなぁと感心した方もいるかもしれません。
いや、そんなはずがありません。
うちの子供が、赤ちゃんだった頃の事を記憶しているはずもなく、後で確認すると、どうやら保育園の先生から、そう伝え聞いたらしいのです。
まぁ、それはさておき、赤ちゃんだった時の事を伝え聞いたにせよ、今の自分に対する態度と、赤ちゃんだった頃の態度で親の態度に差があるのは、子供心に納得がいかなかったのだろう。
毎日、毎日、接している我が子だからこそ、あえて意識していないけれど、気付けば色々な事が一人で出来るようになっているのです。
身近すぎるので、そうした日々の成長を見過ごしやすいのです。
言われてみれば、子供が赤ちゃんだった頃に比べて、褒める回数は、減っている。間違いなく。。。
そう、気付けば、褒めるハードルは、子供の年齢とともに徐々に上がっていっているのです。
でも、それって成長してくれている証なのです。
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当たり前の奇跡
出来る事がいっぱい出てくると、ついつい褒めるハードルは高くなってしまいがち。
我が子がお友達とコミュニケーションが取れる。
我が子が、運動会で一人前に走っている。
我が子が、お箸でご飯を食べている。
当たり前の光景だけど、これは、当たり前ではなくて、奇跡的な事なのだ。
その奇跡を当然の事と捉えて我が子に接しているのかもしれません。
よく話せるようになり、子供の口から出てくる言葉が、生意気なセリフが出てくる。
よく動けるようになり、店内を無駄に走りまわってしまう。そして、派手に転ぶ。
忠告を無視して、アイスを食べすぎてお腹をこわしてしまう。
自分でやる!と言って、お菓子の袋をいきよいよく開けて、中のお菓子が散乱。
「いい加減にしなさい!」
と言ってしまう場面ですが、そこをグッとこらえなければならないのです。
「ダメな事だって、わかるよね」
そう冷静に子供に言えればいいのだけど、なかなか難しい。
だって、怒られるまで子供は、エスカレートして、やり過ぎるんだもの。
最初は、優しく言っていても、エスカレートした言動を取り始めると、怒ったような声でないと、子供の耳には届かないのだもの。
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感謝のぎゅー
それでも子供が元気に育ってくれている。
有難い事なのだ。
そう思い直し、ある時から、うちの子供を事あるごとに、ぎゅーっと抱きしめたりしている。
お友達の前で、ハグされるのは、恥ずかしくなってきた年頃だけど、以前より意識して積極的に子供とスキンシップをとるようにしたのです。
すると、少しずつですが、子供の態度が変わりつつあるのです。
ちょっとだけ落ち着いて、ちょっとだけ私の話しに耳を傾けて、ちょっとだけ人の気持ちを考えられるようになったのです。
まだまだ亀の歩みだけど、以前の子供の態度、振る舞いに比べたら、確実に成長を感じるのです。
褒めるハードルは、上がってしまうのは、仕方がないのだ。
なかなか褒める機会は、赤ちゃんの頃に比べて、グッと減ったけれど、その分、子供とスキンシップを増やす事で、子供の心に大きな安らぎを感じるのです。
今、うちの子供がシュークリームを食べていたのですが、手や口のまわりがベタベタのまま、戦いごっこを始めたので、部屋干ししていた服やら、ドアの取っ手がベタベタ。
「こらー!……」
「ダメだろうが…ぎゅーっ!」
よかったー。今日もハグを忘れずに、子供をしかる事が出来た。
子育てには、正解がないと聞く。
最近、ことに本当だなと実感するのです。
どんなに偉い方が育児論を語っていても、自分の子供に当てはまるとは限らない。
なので知識としては、参考程度にしている。
そして、私の記事も、あなたのお子さんに当てはまるかは、正直わかりません。
でも参考になれば、それだけで嬉しいです。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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